行旅(こうりょ)死亡人

知らない日本語はたくさんあって

日本人で良かった!と思うような、
美しい日本語に触れて心安らぐ日もあれば

このように、心塞ぐ日本語と出会う日もあります。

 

人が生まれて、死んでいくことは必定で

日が昇るように、生まれてきたものはどんどん隆盛し

南中(なんちゅう)をむかえて、自分の影を見ながら

人生の午後を歩き始めます。

 

その人生の行程の、どこかで道に迷ってしまったのですね。

100歳以上の方がこのように多数、所在不明の報道がなされると

昨今の、個人主義の問題だけでは収まらない問題があるのでしょう。

 

住所や氏名が分からず、引き取り手のない死亡者。

まるでジブリ映画『ほたるの墓』で、
次々と駅で亡くなっていく戦災孤児の姿を見るようです。

 

自分の意思に関わらず、
気がつけばどこの名簿にも載らない人生になってしまう方もいます。

今は個人情報の取り扱いの問題で、名簿が作られること自体が少なくなってきました。

 

人は一人では生きていけないのだけれども、

便利さが手助けしてくれて一人で、生きてしまうこともあるのでしょうか。

 

人生の夕暮れが近づいてからでは、
薄暗くてなかなか同行人を見つけることも難しいでしょう。

せめて、親きょうだいの居所を確認しておきたいものです。

お盆を前に、ご先祖様が戻る先が分からない以前に

生きているものの、戻る先が分からなくなってきたのだと

切ない思いのする8月です。

 

あなたは今どこかと繋がっていますか?

一人ぼっちではないですか?