阪神・淡路大震災 30年

1995年(平成7年)に発生した、阪神・淡路大震災から30年が経ちました。
被災した方々・関わった方々の数だけ、その思いがあります。

昨日16日の午後5時46分、今日17日の午前5時46分
そして今日、兵庫県公館で天皇皇后両陛下ご臨席のもと開催された追悼式典で
それぞれの場所で、それぞれの思いで黙祷が捧げられました。
そして、時間にかかわらず、きょうはずっと、祈りの日です。

~冥福の祈り~
『早馳風(はやちかぜ)の神 とりなしたまえ
 早馳風の神 とりなしたまえ
 早馳風の神 とりなしたまえ』  

兵庫県公館での追悼式典は、インターネットでLIVE配信されているのを見ていました。
表現が難しいですが、人のぬくもりの感じられる式典でした。
いま、YouTube配信で見ると、突然とがった広告が入るのが、とても残念です。

淡路島の見えるマンションで被災したわたしも、毎年思い出します。
発生直前に吐き気がして起きたので、しっかり目覚めていました。
停電して情報が入らなくなり、次にテレビが映ったときには神戸が燃えていました。
「東の空が赤い」と見えたのは、その火だった。
小雨が降って、その雨には煤が混ざっていました。

30年、ということで数多くの特集番組があり、見ています。
初めて公開されることや、知らないことも多いです。

知らないことが多いのでは?と感じたことで、思い出しました。
震災後1年と少し後に、夫の転勤のため、数年この土地を離れていました。
赴任先に行った時、あの震災の喧噪とは全く関係ない、別世界のように感じたことも思い出しました。

阪神・淡路大震災の折の様々な教訓が、後の震災・災害に役立てられていることも聞き及びます。
他で大震災が起こる都度、あの時の体験を引き寄せますが、
それでも、離れた土地にいるわたし達は、別世界から見ているのかもしれません。

いまもまだ、身体の深い場所に抱く思いがある方々にも、
どうぞ。穏やかな明日が訪れますように。

 

「しあわせ運べるように」

https://www.youtube.com/watch?v=g-S6Wb35Bc4

「しあわせ運べるように」公式サイト
http://www.shiawasehakoberuyouni.jp/

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『ストレスとストレスケアについて(2011-04-02)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18602

グリーフケア(grief care)2 (2011-04-03)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18583

『救援者のメンタルヘルス(2011-03-29)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18479

『話す・伝える*ストレス解消法10*(2010-06-18)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10521

「震災復興と男女共同参画 フォーラム(2011-6-17)」
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/2820632/

『「イーブン震災ライブラリー」と「防災・減災のためのハンドブック」(2012-10-21)』
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/2831587/

コラム一覧:テーマ:レジリアンス
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?jid=2800432

コラム一覧:テーマ:HEAL THE WORLD
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?page=2&jid=2800464

どんど焼き ~故郷のことば

きょう一月十五日は小正月
玄関に飾っていた正月飾りも外れました。

子どもの頃は、しめ縄飾りなどを家の横の田んぼに集めて焼いていました。
今はもう、各家庭で自由に焚き上げる事はできなくなって
神社などのどんど焼に持って行くか、燃えるゴミとして捨てることになります。
分別も厳しくなり、プラスチックなどが付いていると、分別も必要です。
ゴミとして出すようになったなったころから、住んでいたマンションの玄関から
一気に玄関飾りが無くなったように感じています。

そんな小正月の『火祭行事』のどんど焼き
陰陽道系の左義長(さぎちょう)に由来する、火によって、正月の神(祖霊神)を送り
あわせて一年の災いを焼き払い、清める行事」とか。

関西では、「どんど焼き」「とんど焼き」「左義長」などと呼ばれます。
他の地方では、「道祖神祭」などと呼ばれることもあるようです。
皆さまの故郷では、どのように呼ばれていましたか?

東京発信のメディアによって、言葉や呼称などが共通化・画一化していきます。
国内どこに行っても通じる有難さがありますが、
その土地固有の言葉も、どちらも必要だと、最近とみに感じるようになりました。
言葉は文化継承のために、大切だからです。

TV番組『秘密のケンミンSHOW』が好きなのですが、
馴染みの無い土地の、知らない習慣がとても興味深いです。

世界中に拡がった「新型コロナウイルス感染症」により
ZOOMなどリモートで、世界の人たちと繋がれる環境が発達しました。

海外の人たちとの繋がりにはほとんど縁の無かったわたしですが、
その環境の中で、知らない人たちと繋がれたことで、改めて、
世界中の人が、同じツールで繋がっていること
人の思いや感情は、同じなのだと、
体験的に、深く感じ取ることが出来たのでした。

そんな中で新たに学んだことがありました。
参加したワークショップでの、カウンセリングのデモセッションでした。
海外の方がクライアント役で、共通語でセッションが進められていましたが、
途中「母国語で」の指示がでました。
すると、感情の顕われ方が全然違ったのです。

本来の自分の言葉で話したり・表現すると、こころに深く触れるのだと感じました。
思いが溜まり、滞るとき、
自分が一番馴染む言葉で呟いてみることは、自分を助けるのに、役に立ちそうです。
試してみて下さい。


コラム一覧:言葉(ことのは)
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?jid=2801726

コラム一覧 :大和魂
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?jid=2607

AI診断

お正月内の節句=正月(一月一日)・人日の節句(一月七日)が過ぎました。
初詣・書き初め・七草粥・鏡開き・・・と、お正月行事の一つ一つが過ぎていきます。
皆さまの今年の暮らしの歩みは始めは、いかがですか?

今年、七草粥用の七草。スーパーで出した手が戸惑うお値段になっていました。
摘みにいくことも出来ないので、購入するわけですが、翌日沢山残っていました。
七草を食べる謂(い)われとともに、さらに廃れていくかもしれないと感じました。

七草の若菜を食べる習慣は、今は「お正月の食事で疲れた胃腸を労る」とあるのが多いですが、
江戸時代の文献には「魂魄の気力を増し、命が伸びると伝わる。」とあるそうです。
おせちも、最近は購入する家庭も増えて、一つ一つの謂われは忘れていくのかもしれません。
それでも、時代と共に形を変えながらでも、お正月におせちのある日本の文化は大切です。

年賀状も、メールやSNSの普及に郵便料金の値上げが重なったことで、
昨年・今年限りで年賀状じまいの案内が多かったです。
わたしは、数年前にあることをきっけに、ほとんど止めました。
年賀状だけで何十年も繋がっていた方々とは、残念な気持ちもあったのですが、
いまは、郵便でしか繋がれない大切な方数名に、書いています。

見ること、聞くこと、すること、情報がいっぱいにあふれていて、でもめまぐるしく
その表面をなぞるだけで、過ぎてしまっていると感じることも多くなりました。

何でも手軽で便利だけど、物足りない感じ。
年賀状も、そのひとつかもしれません。
表も裏も印刷されたまま、書き添えのない年賀状を頂くと淋しかったです。

そんな日常のなか、久しぶりに病院に行きました。
直ぐに治ると思って様子をみていて、年末年始の準備で悪化しました。

 

病院に行く前に、たまたま見つけた【AI診断】を試しました。
出てきた結果に、まさかそれは無いよねと思い、
けれども、質問項目の幾つかに思い当たって、反省もしました。

そして、近くの病院に行きました。
紙の問診票に記入して、受付の方やお医者様と直接会って言葉を交わし、
レントゲンを撮ってもらい、目で見て、触診し、処置をしていただきました。
診断結果はAIと同じでした。
結果は同じでも、間に人との関わりが有ることは、とても大切なことだと考えています。

遠く離れた方とも繋がれる手段は増えました。
それでも、人と人が直接会うことはとても必要で、大切です。

これから、関西ではお正月飾りを外したり
15日の、どんど焼き小正月(女正月とも)で、松の内が終わります。
日常の中の日本の文化・風習を感じてみてください。

いまから2月の立春までは、小寒大寒の一番寒い時候ですので、
皆さま、どうぞ身体もこころも労ってお過ごしください。

 

『プロ棋士 VS 将棋ソフト(2010-10-12)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/13831

2025年 新年によせて

2025年(令和7年)新年 おめでとうございます。
新しい年を穏やかに迎えられ、正月三が日を無事に過ごせたことを有難く思います。
皆さまは、どのようにお正月を過ごされましたでしょうか。

わたしは今年も、元日に地元の神社に初詣に行きました。
昨年と同じような時間帯で、参拝の列に並びながら、昨年急に胸がギューッと痛くなったことを思い出しました。後に能登半島地震が発生した頃と知りました。

参拝を終え車に戻ると、『能登半島地震・奥能登豪雨犠牲者追悼式』関連の報道が流れ、黙祷の時間となりました。

『早馳風(はやちかぜ)の神 とりなしたまえ
 早馳風の神 とりなしたまえ
 早馳風の神 とりなしたまえ』 ~冥福の祈り~ 

新年の言祝ぎあふれるハレの日の中の、白い花一色に飾られた追悼式は、悲しみをいや増すようでした。

能登半島地震は、多くの交通網が寸断されたことで、発生時の様子はほとんど伝わってきませんでした。
1日夜に放映された、特集報道番組で、初めて知ることも多くありました。
輪島の火事の様子や体験談は、神戸のあの日の長田の火災の時のようすに重なり、
津波の映像は、東北地方のあの日を思い出させました。
しかしまた、一方でそれらからの教訓が活かされていることも分かりました。
それぞれの意識の奥に、知らずに封じられた感情・感覚がうまく癒やされますように。

今年は、乙巳(きのとみ)の年。
この年が、皆さまにとって、わたしにとって良い年になりますように、願っています。

 

『痛みの種類と援助するという事(2011-03-24)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18413

 

2024年「今年の漢字」 ~行く年に感謝を込めて~

皆さまにとって、この一年はどのような年だったでしょうか?

今年は年明け早々、1日夕方の能登半島地震が、新年の気持ちを深い悲しみへと変えました。そしてその動揺が収まらない内の2日、支援に向かう海上保安庁機の事故と続きました。更に9月、再建・復旧の心を挫く能登半島豪雨がありました。
被害に遭われた方々、関係者の皆さまには、どんなにか深い悲嘆であることでしょうか。
そして、今日の大晦日をどんな気持ちで過ごし、明日にどんな思いを抱かれているでしょう。

2024年(令和六年)の「今年の漢字」は『金(キン・かね)』でした。
この漢字を見て・聞いての、第一印象・イメージは何でしたか。
「キン」と「かね」、それを「光」と「影」に例えている報道もありました。

そして、2番目に多かったのは『災(さい)』でした。
今年の漢字」の第1回目は1995年。その年の漢字は『震(しん)』。
神戸地域のわたし達は、阪神淡路の震災を体験した年でした。あの被災体験は、後々繰り返し日本に起こる震災ごとに、被災された方々に起こっていることを、この身に引き寄せて感じる経験へと繋がりました。

皆さまそれぞれの方の、「今年の漢字」は何でしょうか?

今年全国区のニュースとなった兵庫県知事選挙で再選された斎藤元彦知事は、12月18日の定例記者会見で「結」と発表されました。
わたし自身が名前で使っている「結」の文字に出会ったことで、興味深くその報道を聞きました。そして同時に、現在進行形で学んでいる聖書の中で習いたての『ゼガリヤ書』の中にある、2本の杖の事が頭に浮かびました。
『ゼガリヤ書』は旧約聖書の最後から二番目の書です。
その11章7節に、主(しゅ)に「好意」と「一致」と名付けられた杖が登場します。この2本の杖は文語訳では「恩(めぐみ)」と「結(むすび)」と著わされています。この杖たちは、後に民の自己中心性と罪により、主によって折られることになります。
「恩(好意)」と名付けられた杖は、「諸国の民すべてと結んだ契約を無効にする」として。
「結(一致)」と名付けられた杖は、「兄弟の契りを無効にする」として。

 

主(しゅ)は、文語訳では汝の神と著わされていますが、それらの表現に馴染めない方もおられるかもしれません、それぞれの方の中にある信じるものであって良いと思います。それが根源に近いものであれば、表現の違いだけだからです。
わたしは、大いなる自然や、日本古来の八百万の神をイメージすることもあります。
あるいは、「お天道様が見ている」のお天道様かもしれません。

 

大自然の一部であるわたし達は、それに影響され影響を及ぼします。
この大いなる自然と調和し協調して生きてきた、わたし達の美しい日本の風土、文化・精神が、世代を超えて残っていけますように。

どうぞ皆さま、よい年末年始をお過ごしください。

縁あって読んで下さった皆さま、有り難うございます。

『絆(2011-12-30)』
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/2824509/

グリーフケア1(2011-03-31)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18480

グリーフケア(grief care) 2(2018-10-31)』
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/2818583/

『痛みの種類と援助するという事(2011-03-24)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18413

『喪失感 (2010-06-28)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10764

『喪失と悲しみの心理1(2011-03-17)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18244

『喪失と悲しみの心理2(2011-03-18)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18274

『喪失と悲しみの心理3(2011-03-20)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18291

当たり前の中の幸せ。(豊かさをおもう①)

減点式の生活を長く経験するせいなのか・・・
足りないことには、すぐ気が付くけれど
足りてることは、気が付きにくくなっているよう。

当たり前に過ごしている日々のことに
ひとつ ひとつ 目を向けると

あらためて、
その有難さに気づきます。

例えば
朝起きてからのことなど。

今朝も目覚めることができたこと。

太陽がのぼってってくるのを
見ることが出来ること。

鳴きはじめた鳥たちの声が
聞こえること。

日差しの暖かさを
感じることが出来ること。

今朝も
食べるものがあること。

きれいな飲み水があることの
有難さ。

体操が
自由にできること。

行きたいところに
一緒に行く人がいること。

バスや、電車や、船 などが
時間に正確に動いていること。

わたしたちの周りにの
たくさんのあるもの、出来ること。

そんなことに気づくと、
豊かさが変わるように感じます。

その原因は、どこにありますか?

不調になった時、それが、
肉体(ボディ)の問題なのか、
心(マインド)の問題なのか
あるいは、
より深い部分(スピリット)の問題なのか
それらを配慮する必要があります。

例えば、肉体の不具合の場合は
骨折のときは、外科に行きます。
風邪のときには、内科に行きます。
なんとなく不調で迷うときは、総合病院に行くかもしれません。

肉体の不調が、心に起因するときは
その心の負荷を取り除かないと、肉体の不調は続きます。

肉体も心も良好なのに、活力が弱ることがあります。
それは、この夏のような猛暑の季節によるかもしれないし
加齢によるものかもしれません。

あるいは、深い喪失から来るものかもしれません。
時の経過がそれを軽くしてくれることもあれば
逆に、深まっていくこともあります。

自分でも気づくこと無く、
こころの深い所に潜んでいることもあるかもしれません。

不調として顕われてきて、日常生活に不具合が生じてきたら
そのレベルにあったところで、対処する必要があります。

しかしまた、もう一つの見方もあります。
急を要する症状として顕われているときは、まずそれに対応しなければなりません。

今がとても辛くて、今日明日も越えられないようなときには
その根本原因にゆっくり取り組んでいる場合ではありません。

そのバランスを知り使いわけるのが、重要です。
そんなこと、当たり前・・・と思うかもしれません。
文字で・言葉で言うのは簡単だけれど
現実の生身のヒトとしては、これらは当たり前には出来ないことが
多いのです。

それらの変化に気づけるためにも
自分自身の、身の回りにいる人たちの
ベースの状態を知っておくことは、とても大切になります。